こんなことが。

ひどく気になるのは。

もしかして。
俺だけなのか?




026:The World 1




初めて見たのは学校近くの図書館で。
不二が、手塚読みそうな洋書があったよ、と
この図書館を紹介してもらったのがきっかけだ。

初めて来る図書館に入って。
案内板をしばらく眺めて。
目的の洋書の場所を詮索して。
それからゆっくりと歩いて。

案内板では。
洋書は図書館のかなり奥にあるらしく、
読む場所から大分離れたその場所には。
人の姿はあまりなく。

かなり大きい棚が並んでいて。
奥へ行けば行くほど英語のタイトルが多くなって。
どこからが空気や雰囲気が変わって。
まるで人を、拒絶しているような。

窓から差し込む木漏れ日が。
妙にこの雰囲気に合っていて。
それでいて、拒否してるような。
この場所には光は必要ないんだ、と。

本の読みすぎだな、と
自分に溜息を吐く。
溜息さえも妙に響いて。
異次元に迷い込んだとさえ思わせる場所で。

ふいに立ち止まると。
その雰囲気に馴染んだその姿を目にする。
その通路だけ窓が開いていて、
そこから吹く風を髪で感じて。


不覚にも。
俺は、見惚れてしまった。


まるで1枚の絵画を思わせて。
美術館の中で完璧を誇る作品のようで。
愛や恋ではない。
その情景にただ、酔ったとしか言い様がない。


「……」


無言で。
その情景に見惚れて。
彼女はそっと自分より高い場所に
そっと手を伸ばして、そして引っ込める。

取れないのか、そうも思った。
けれど、彼女は。
その本を拒否してるようにさえ見えて。

そんな思考を巡らせていると、
彼女はふと俺の方を見た。
最初は待っていたと言わんばかりの笑顔が、
急に萎んだ花のように影を落として。


「……取ろうか?」


自然と、その言葉が出た。
それと同時に足がそちらへと向いて。
コツコツと靴音を立てて。
彼女は顔を伏せてその場から動こうとしない。


「良いです、気にしないで」


俺の足を止めるには十分な言葉だった。
靴音が止み、その場に立ち尽くして。


「そうか」


俺もそれだけ呟いて。
顔を伏せた。

何故だろう。
そのまま振り返って去ることも出来たのに。
それをしなかったのは何故だろうか。

お互い顔を伏せて。
お互い視線を地面に囚われて。


「ここは……」
「え?」
「ここは、あの人と私の場所だったのに……」


彼女はそう呟いて。
拳を固く握りながら、
地面に涙を落としながら泣いて。


「……誰かと、待ち合わせしていたのか?」
「……もう、来ないわ」
「……聞かないほうが良いか、俺は帰ろう」
「……待って」


その言葉を、待っていたのかもしれない。
その言葉を、言わせたかったのかもしれない。


「貴方は何しにここへ?」
「……本を探している」
「私、ココには詳しいよ。何の本?」


先程とは打って変わって、
彼女は柔らかい笑みを俺に向ける。
涙の跡はもうなく、少し目が赤いだけで。
それさえも綺麗だと思わせて。

彼女の行動の真意は図れない。
俺には到底理解出来ない。
けれど、確実に俺を惹いて。


「"The World"だ」


彼女は無意識に瞳を開かせ、
そして自嘲気味に息を吐いた。


「……コレ、よ」


彼女が先程取ろうとした本と
何の差し違いなく。
躊躇いがちにその本を手に取り、
確かめるように両手で本を持って、
納得がいかない様に俺に差し出す。


「その本に何かあるのか?」


普段なら。
こんな詮索めいたことを、
名も知らない相手に聞くはずないが。
どうしても気になって。
口に出してしまうのは無意識で。

俺の本能が。
そうさせて。
俺自身が。
それに驚いて。


「目印」
「……」
「あの人との、目印だから」


印象的だった。
少し開く唇から出るその言葉。
少し寂しそうに。
それでも無理に微笑むように。
彼女は、吐いた。

お互い名も知らない相手なのに。
お互いの秘密をばらすようなそんな感覚。
秘密らしい秘密はないのに。
それは何故か神聖で、神秘的で。


「俺は手塚国光、君は?」
「……」


何故お互い名前を言ったのか。
俺も真意に図れない。
本当に無意識で。
本能のまま行動しているから。


「それじゃあ」


彼女はそう告げて。
俺が居る方とは反対側の角を曲がって。
そのまま靴音をさせて
俺の前から姿を消した。




"The World"


訳すると、その世界。
少しファンタジーのような物語で。
どの辺が俺の読みそうな本なのか、と
不二に問いたくなったほどの物だった。

剣士が居て。
剣士は世界を救うために魔物と戦い。
彼は世界を救って村へ戻るが。
再会を誓い合った村娘は殺されていて。
彼は何故だと嘆き悲しむ。
彼はその世界を蔑み、悪を生む。
その世界の英雄は一変して、悪となる。
狂気に陥り、彼はその世界を恨んだまま死す。
何が大事だったか、後悔したまま。

ただの恋愛小説を読むことはないが。
普通の本にもそういう描写は存在して。
愛して愛して、愛し焦がれて。
自分が破滅へと向かおうと。
愛すべき人のためなら何事にも厭わなくて。

その人こそが。
その世界の全てで。
その人が存在するから。
自分は生けていける、と。

単純明快な発想で。
今までの俺なら、
"随分と短絡的な話だ"なんて、
文句をつけていたかもしれない。

どうしてだろう。
そう、思わないのは。
どうしてだろう。
ひどく、そう思うのは。

ひどく、そうだと思ってしまうのは。
どうしてなんだろうか。




次の日は部活がなかった。
廊下で不二に会うこともなく、
取り急いで聞く用件でもなかったので、
俺はその帰りに例の図書館に向かった。

胸に潜む期待感。
また彼女に会えるかもという、それ。
外は木枯らしが吹いて、寒いのに。
図書館に一歩入れば別世界のように暖かい。

この別世界のような空間で。
昨日、俺は彼女に出会った。
木漏れ日溢れるあの場所で。
彼女に見惚れた。


「、……」


確かめる様に。
存在を確かなものにする様に。
夢のように消えてしまわない様に。
実在していると信じる様に。

彼女の名を。
小さく、呼ぶ。
誰にも聞かれない様に。
誰にも知られない様に。

神秘的な出会いを。
誰にもばれない様に。

ああ。
この気持ちはなんなんだ?
俺には分からない。
世界には溢れているはずの。
この想いの名が。


俺には分からない。


昨日とさして変わらないその場所へ。
足音が。
いつもより浮き足立って聞こえるのは気のせいなのか?
それとも。
それは俺の心がおかしいからか?

彼女と出会ったその角を曲がる前に。
聞こえたのは。


「ゆう、し……!」


悲痛な。
それでいて、焦がれる声。
胸を締め付けるのは十分なそれで。


「ごめんな」


俺より低い声で。
知らない誰かはそう呟いて。
靴音をさせて、反対側を歩いて去った。

その靴音が。
余計に胸を締め付けるのは何故だろうか。
痛いと思わせるほど締め付けて。
俺を、硬直させる。


「ゆう、しぃ……」


決定打だ。
彼女が待っていたのは。
紛れもない、あの男だったのだ。

なんなのだろう。
この感情は。
確か、こんなことは何度か思ったはずだ。

そう。
"悲しい"って言うんじゃないか?

俺は。
あの出会いに。
柄にもなく運命だ、と思っていた。
この世界に溢れる運命の一つだ、と。
本当に柄にもない。
そんなこと今まで信じていなかったけれど。

運命だったと。
出会うのは必然だったと。
別世界のようなその世界で。
出会うべくして出会ったのだ、と。

俺だけだったのか。
そう思っていたのは。
いや、これは利己的な考え方だろうか。
勝手な運命を感じてただけだろうか。

彼女の泣き声が虚しく俺の耳朶を打って。
そして、自覚する。

その世界で。
俺は確実に。

に恋をしてるんだ、と。






+++++++++++
"The World"なんて本は存在しませんよ(笑)
先に言っておきます。存在しません。
やっぱり手塚は難しい。続きまふ。


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