「健太郎、海に行こう」


部活が終わって、もう夕暮れ間近。
テニス部の練習を終えて、俺達は帰りを急いでいた―――そんな時。
がふと立ち止まり。
俺の制服の裾を掴んで、そう言った。




035. 海




「……え?」
「海、行きたい」
「……今から?」
「まさか、明日久々の休みでしょ?」
「ああ、うん」
「せっかくのデートなら、明日は海に行きたいなって」
「海か……」
「まだ寒いから泳げないけど、きっと風が気持ち良いよ」


最近はもう、夕暮れが長い。
夏が間近に迫っている証拠だ。

の夏服姿を今日初めて見た。
制服自体は普段とあまり変わらないけれど、
腰のベルトが身体のラインをより露にして、
いつもより女らしく見える気がする。



そんなことを言ったら怒られるから言わないけれど。



「じゃあ少し遠出だな」
「うん、健太郎と遠出するのは初めてだね」
「ゴメン、いつも忙しくて……」
「気にしないで、健太郎がテニスしてる姿、私も好きだもん」


ふわふわとした笑顔でそう言うから。
俺は顔中に熱が集まってくるのが分かる。
の笑顔はいつも不意打ちで俺はよく赤面してしまう。
何でって、そんなの、決まってるだろ。


誤魔化すように少し乱暴にの手を握って。


「……好きだから」


には聞こえないように。
小さく小さく告白をした。

は手を握ったことを疑問にも思わずに、
俺と同じように頬を赤らめて、家路へと急いだ。





電車を降りて、息を吸えば。
真っ先に潮の心地良い香りが鼻をくすぐった。
人間の祖先が海だって話はこの匂いを嗅げば分かるような気がする。
だって、何故か懐かしい気持ちにさせられるから。

潮風が舞う海岸で。
俺達は誰も居ない海を見つめる。
お互いただ無言で、懐かしい海を見て。


ふと、が手を握って。


「歩こう?」


と、笑むから。
俺は内心ドキドキしながら応えるように握り返した。

誰も居ない海は少し寂しい。
波音しかしなくて、それが寂しい音を奏でているみたいで。
とても、寂しい気がする。

それはどこか、独りの時みたいで。
俺は最近よくどうしても考えてしまうことがある。
考えれば考えるほど分からなくなるのに、止められない。


どうしてはこんな俺を好きになったのだろう。
千石みたいに女の子が喜ぶようなことも出来ないし、
亜久津みたいにどこか危険な魅力があるわけでもない。

千石から呼ばれるように、俺は地味の片割れ。
いつも存在に気付いてもらえない損な役回り。



そんな俺を。
どうして君は好きになってくれたのだろう。



分からないから、不安で。
それでも1秒でも多く傍に居たくて。
の隣は心地よくて、それでいて、苦しい。


「……どうかした?」


手を引かれっ放しの俺を変に思ったのか。
急に立ち止まって俺の顔を下から覗き込む。


「海、楽しくない?」


目尻を下げて問いかけてくる様に、
チクン、と胸が痛む。
そういう顔をさせたい訳じゃない。
ああ、俺ってどうしてこんなに気が利かないんだ。


「いや、全然?」
「ゴメンね、疲れてるのに誘って」
「そんなことないよ」
「……そっか」


どうしてだろう。
はまた目尻を下げた。
涙を浮かべていればきっとそれは落ちていた。

きっと、つまらないんだろうな。
俺と居ても楽しい会話なんて出来ないし。
ただ無言で海岸を歩くなんてつまらないに決まってる。

そんなことを考えて、口に出せない俺は弱い。
のために強くなりたいとは思うのに。
どうしても俺はそうなれないんだ。


それは、俺がを好きだから。
好きだから、この手を離すのが怖いんだ。
離れればきっと、はこちらを見向きもしない。
こんな地味な俺なんて眼中にも入らないんだ。



強くなるだけが男じゃないけど。
のために、強くなりたい。





「見て見て!」


砂浜に降りて、は波打ち際で文字を書いた。
それは俺との相合傘。
潮風で涼しいのに、の頬はりんごみたいに赤くて。
抱きしめたいくらいに、可愛い。


「……」
「……ゴメン」
「え?」
「……名前、書いて」


は俺の無言を怒りだと思ったのだろうか。
下を向いて、少し上ずった声でそう言った。


「ち、違うから!」
「なに、が?」
「いや、その、名前書いたこと、怒ってないから……」
「……」


サァッと潮風が通り過ぎて、ザザンと波音が鳴った。
が黙って、俺も黙ってしまう。


強くなりたい。
失う覚悟が出来ていないけれど。
に問えるくらいの強さが欲しい。


「……つまらない?」
「え?」
「私と居ても、つまらないかな?」


ザザァ、ザザァン。
波が足元まで押し寄せてきて。
俺達の名前が書いてあった相合傘を、
の呟きと共に攫っていく。

もう読めなくなった少しでこぼこの砂浜。
それを見て、何だか俺は泣きそうになった。
まるでこれからの俺達の関係を予兆しているようで。
この恋はダメなんだって、遠い祖先に言われているようで。

が悪いんじゃない。
全て、俺が悪いのに。
俺がはっきり強く言えないから。
をこんな悲しい思いにさせて。

気まずい空気が流れて。
俺は何を言葉にすれば良いか分からなくて。
余計に沈黙の重さに押し潰されそうになる。


「……私ね」
「……」
「健太郎と手を繋いで海見たりするの好き」
「……」
「黙ってても、健太郎と居るのはすごく楽しいの」
「……」
「青空みたいに見えない腕で抱かれてるみたいでね、
 潮風のような心地良い風に包まれてるみたいでね、
 私が健太郎を見れば、健太郎が見つめてくれてね、
 ……そうしたら、健太郎と笑いたくなるの」
「……」
「健太郎は違う?つまらない?」
「そんなわけない……ゴメン、言えなくて」
「え?」


自分のことで精一杯で。
が何を考えているかなんて思いもしなかった。
ただ、自分がから離されてしまうことだけ怖がって。



はこんなにも俺のこと想ってくれていたのに。



「が好きだから、つまらないなんて思ったことない」
「……本当?」
「むしろ反対、俺の方がつまらなく思われてるんじゃないかって」
「そんなわけない!……ふふっ、私達、バカだね」
「本当だ、な」


つぼみが花開いたように。
甘い香りをさせてふわふわと笑うから。
俺は無意識に君の身体を引き寄せた。

初めて触れるの身体は柔らかくて。
の匂いがして、ひどく落ち着いた。

少しずつ、少しずつ。
そう、少しずつで良いんだ。
こうやって愛を育てていけば、何の問題もないんだ。


「好きだ……」


この気持ちは偽りがないと誓えるから。
確かに自分に自信はないけれど、と2人なら大丈夫。

どんな未来が訪れても。
俺は永遠にこの日を忘れない。
と来た、この海を、ずっと。



ずっと。






+++++++++++
ドリリハビリに南。
でも全然効果なしてません。
ドリって難しいですよね。私、これから書けるかな?(弱気発言)


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