彼は浮気者。


私と付き合って半年の間で3人もの女の子と関係を持った。
だけど彼は最後に私の元に戻ってきて「好きだ」と言ってキスをくれた。
「好き」と言われるのは好き。
だけど、そんな気持ちのない好きは嫌い。
でも貴方の甘い声に酔わされて私はいつも許してしまう。


そんな貴方のvoice −コエ− に。




麻薬のvoice




「おはようさん」
「あ、オハヨウ」


登校途中、同じクラスの忍足に声を掛けられた。
忍足は友達で良き相談相手でもある。
でも最近はめっきり彼のこと相談してない。


「今日の数学の小テス勉やってきた?」
「そんなんやっとるヒマないわ〜、は?」
「私はばっちし!……ヤマ当てしよっか?」
「お願いしますわ」
「ハイハイ、今日の昼食で手を打ちましょう!」
「……ホンマにには頭上がらんわ」


そんな会話をしていたら、目の前に……彼がいた。
今まで笑えてたのに、彼を捉えた瞬間周りの色がグレーへと変わった。


「……忍足」
「ん?」
「今日、裏門から行かない?」
「何でや?」
「このまま行きたくない……」


忍足なら分かってくれる。
私が正門から行きたくない理由。
忍足は正門を見て「あぁ」と言って私の手を引っ張ってくれた。


彼はこの光景を見ているだろうか。
見て私の気持ちを分かってくれたら良いのに。


「……、昨日跡部と何かあったんか?」
「……」
「沈黙は肯定とみなすで?」
「……何も、ないよ」
「何もない訳あるかい!のその態度―――」
「別れた」


不思議に言葉にするのがそれ程辛くなかった。
今までこの関係を保つのに苦労したのに、別れは案外簡単で。
そして"付き合ってる"って言葉より"別れた"って言葉の方が軽いだなんて。
それだけでも泣けてくる。



でも泣いてちゃ前に進めない。



「ホンマ、か?」
「忍足にもずい分迷惑かけたけど、もう私は大丈夫だから!
 逆にせいせいしたっての?やっぱあーゆー重い恋愛はダメだね!!」
「……」
「忍足は何も心配しないで、私は大丈夫だから……ね?」


動きを止めて驚いた顔をしている忍足の手を今度は私が引っ張って学校に急ぐ。
きっと私の顔は今も笑顔。



……良かった、私はまだこんな風に笑えるのね。



彼、跡部景吾は私の彼で浮気者。
"来る者拒まず、去る者追わず"って言葉がお似合いな彼。
そんな彼に電話をして別れたのは昨日。


耐えられなかった、彼が他の女の子と街中を歩いているのは。
耐えられなかった、彼が他の女の子と腕を組んでいるのは。
耐えられなかった、彼が他の女の子とキスしようとする瞬間は。


私の絶望を知る由もなく、彼はまた他の女の子と関係を持つ。
私は十分耐えた、何度も貴方のために泣いた。
その度に思い出すのは貴方の言葉。
貴方の甘い声に乗って出てくる彼の言葉は私にとって麻薬そのものだった。
何度貴方の声に騙されたことか、でも私はようやくそれから離れられた。


「何て言ったん?」


教室についてすぐ、忍足が私の前の席の椅子を占拠して聞いていた。
まだ教科書も鞄から出してないのに、突然過ぎだよ。


「……「疲れた。別れて」で電話をガシャン」
「後からかかってこんかったん?」
「電源オフにしたよ」
「……さよか」


忍足と話をしながら教科書を机の中に入れている時、
窓際の女の子達が黄色い声を上げた。


「朝も居たけど跡部くん、あそこで何やってんだろ?」
「さぁ?誰か待ってるのかなぁ〜、それにしても今日は一段とカッコ良くない?」
「うん!何かけだるい雰囲気出てるよね、寝不足なのかな〜?」


そう。
彼は正門前で1人壁にもたれて立っていたのだ。
何をしているかは定かではない……。
でもきっと私の勝手な推測では私を、待っているんだ。

彼の浮気が分かった次の日は何故か必ずいつも正門で彼が待っていた。
そして私を引っ張って誰も居ない教室に連れて行って、甘い声で私の機嫌を取るの。



いい気味。
ずっとそこで来るはずのない私を待ってれば良いんだわ。



「……アレ、のこと待っとんちゃうん?」
「さぁ?校門前で新しい彼女と待ち合わせかもよ?」
「……否定は出来んけどな」


忍足は知ってる。
私が何度も彼のことを相談したから。
忍足は黙って私の話を聞いてくれてそして頭を撫でてくれる。

……私、どうして忍足を好きにならなかったんだろう。
どうしてこんな苦しい恋心を選んでしまうんだろう。


「さっ!数学は2時間目よ〜、今からやらないと間に合わないよ?」
「ええんか?」
「は?」
「ホンマに、ええんか?」


いつもと違う真剣な瞳で私を射る。
……全てを見抜かれそうな強い瞳。
私は教科書を探す振りしてとっさに視線を逸らして、何とか避けた。


「良いっていってるでしょ、あんまりしつこいと教えないよ?」
「それは勘弁やな」


次に顔を合わせた時は忍足は締まりのない顔をしていた。
苦笑しながら自分の席に戻って数学の教科書を取りにいっていた。
忍足はたまに真剣な瞳をして私の本音を見破る。
きっとこの行為も私の本当の気持ちじゃないことくらいお見通し。
テニスをしてる時と同じ顔……真剣な顔。


「ふぅ」


私が溜息を吐いた時。
窓際の女の子と黄色い声は増えていた。






「のおかげで数学は助かったわ〜」
「何言ってんのよ、私のヤマなんかなくても出来たクセに」
「そんなことないで、のおかげや」
「ハイハイ」


忍足のおごりのA定食を人通りの少ない特別棟の階段で食べる。
今日は休み時間ごとに教室には居なかった。
運悪く今日は移動教室はなかったからトイレ、階段、屋上、色々な所に逃げた。
その助言をくれたのは忍足で、トイレ以外は全部に付いてきた。
ちなみに私はずっと女子トイレに隠れようと思っていたのだけど、
「トイレなんか安易や」と別の色々な場所を提供してくれたのよね。

感謝感謝。


「なぁ〜んか、今日1日がホント長い気がする……」
「何でや?」
「こーゆー場所に来ても意外と時間って経ってなくて、授業より長く感じるの……
 "逃げてる"って意識があるからかな?……何か嫌やわぁ」
「けったいな関西弁使うなや」


頭に軽いツッコミチョップされて苦笑する。
こんなこと長く続けられる訳ない。
……きっとその前に景吾は私から離れてくれる。


少しの我慢。
後もう少しの我慢。
そう言い聞かせても私が求めるのはあのvoice。

悔しいくらい脳内は貴方のことでいっぱい。
今は嘘でも良いから「好きだ」と言って欲しい自分が居る。
こんな情けない私になってしまうなんて思ってもなかった。



彼が見れればそれで良かった。
彼が居ればそれで良かった。
彼の傍に居れるだけで良かった。
彼が隣に居てくれるだけで良かった。



どんどん大きくなっていく欲望は誰にも止めることが出来なくて。
ついには、別れを求めたの。


「送ろか?」
「良いよ、今日もテニスの練習あるんでしょ?レギュラーがサボるな!」
「事情話したら許してくれるし……それに1人やと不安やろ?」
「今は1人で居たいの……ゴメン、ね」


心配そうに見つめてくる忍足の視線を振り払うように鞄を持って向き合った。
忍足は「はぁ」と溜息を吐いたけど次の瞬間には笑顔になっていて、


「じゃあ跡部がちゃんと部活サボらんか見張っとくわ」
「うん、よろしく……じゃあまた明日ね、バイバイ」
「また明日、な」



逃げるように教室を立ち去って、それからは走った。



誰にも会わず。
誰にも声を掛けられないように。
必死に玄関まで急いだ。

ローファーに履き替えて、校門まで急ごうとした時、
急に腕を掴まれて校舎に引き戻された。
振り返らなくても分かる。



……彼しかいない。



「」


そのまま私を後ろ抱きして、耳元で私の名前を呼んだ。



"この甘い声に騙されてはいけない"



私の心の中で呪文のように何度も唱えた。


目を瞑って彼を確認したくない。
もう自分を騙したくない。

身体をよじって抵抗しても彼の腕はビクともしない。
テニスで鍛えられたたくましい腕は私を離してはくれない。


「何で逃げるんだよ」
「……」
「黙ってねぇで何か言えよ」


お決まりの「アーン?」と言うセリフはなくて。
いつになく真剣な彼の声。
聞きたくて仕方なかった声が今耳元で囁いてくれている。
だけど、もう私は彼女じゃないんだから拒絶しなければならない。


愛しい彼を。
手放さなければならない。


「……私達別れたでしょ、離して」
「俺は納得してねぇよ」
「浮気ばっかりするアンタに承諾してもらう義務はないわよ」
「好きだ」


そうやってまた話をうやむやにする。
何度その言葉を信じたと思ってるの?



そんな自分にはもう飽きたのよ。
真剣に言ってよ、ねぇ。



「嘘」
「好きだ」
「嘘でしょ、離して」
「愛してる」



誰にでも言ってしまう軽い言葉で私を汚さないで。



私だけじゃないクセに。
他の女の子にも言うクセに。


「もう信用しないって決めたの、だから別れたの」
「……」
「景吾は私のこと愛してなんかないわ、嘘の言葉はもうたくさんなのよっ!」


本当はこのまま言い逃げしてしまいたい。
だけど、いくら身体をよじっても景吾は離してくれなくて。
愛してもらえないことが悔しくて私はついに一筋の涙を流した。


「……カッコ悪ぃだろ」
「え?」
「お前が他の男の前で笑ってる、お前が俺の前で電話の相手に笑ってる、
 お前が日曜日に他の誰かと出掛けて笑ってる……耐えられねぇんだよ」
「それって……嫉妬?」
「……ウゼェ男になりたくなかった、俺だけを見ろなんて……言えるか」
「景吾……」
「今まで女なんか俺を束縛したがって鬱陶しいだけだった……けど、お前は違った」
「……」
「初めて束縛したい女なんだよ、お前は……でも嫌われるのが怖ぇなんて……ちっ」


私が顔だけ振り向くと。
景吾の顔は前髪で隠れて確かめられない。
でも私から顔を逸らしてるってことは。



見られたくない顔ってこと。



「しんどいの……」
「……」
「もう、片思いみたいなのは……しんどいの」
「……」
「信じて良い?景吾も片思いみたいで、辛かったって……信じて、良い?」
「決まってんだろ、お前しか愛してねぇよ……」


玄関先だと言うことも忘れて私と景吾の顔は近づいた。
ほんの数ミリというところで景吾の唇は手によって包まれてしまった。


「……他の女とキスした唇で触らないでよね」


いくら景吾が好きでも浮気は浮気。
当分は許さない決心はさすがに揺るがない。
好きでも許せない乙女心。
この際きっちりと分かってもらうんだから!


「してねぇよ」
「嘘、街中で堂々としようとしてたじゃない」
「してねぇ」
「あの距離でしてないなんて思えるわけないでしょ」


確かに、今までしてる証拠を押さえられたことはない。
見るに耐えれなくて何度その場から逃げ出したか。
そこで気づいてくれれば、私は止めに入ることが出来たのに。


「してねぇって言ってんだろ」


ゆっくりと身体を前に向けられてそのまま抱きしめられて。
耳元で囁く。



貴方の声は麻薬。



止めたくても止められない禁断の薬。
けど、その麻薬は私に幸せを運んできてくれるのね。


「嘘……」
「お前が居るの、知ってたぜ」
「……は?」
「あんな尾行して俺にばれなかったと思うか?アーン?」
「……知って、たの?」
「お前のことは誰よりも俺が1番知ってるに決まってるだろ」
「じゃあ、どうしてキスなんか……やっぱり私のことっ」
「だから、してねぇって言ってるだろ!……お前を試したんだよ」
「ため、す……?」
「割って入ってくりゃいつでも抱きしめてやんのに……お前は1度も来なかった」
「行ける訳ないでしょっ!……そんなっ、浮気現場に……」
「お前が居なくなった瞬間、俺も家に帰るんだよ」
「へ……?」
「他の女なんて興味ねぇ、放って帰るに決まってんだろ」
「わたしの、ため……?」
「お前は何も言わねぇから、こうやって試すしかねぇだろ……」


景吾の本音。
やっと言葉になって貴方の声に乗って聞くことが出来た。
何だか笑っちゃって、景吾の胸へと頭を預けた。


「私、……しょうだよ……」
「あぁ?」
「景吾の声でもう1度聞きたいの……好き、って言って……?」
「……愛してる」


そう、私も景吾のこと愛してる。
好きで好きで堪らなくて、もう手放さないよ?
私の彼は浮気者……なんかじゃない。
私だけを愛してくれる、そんな人……私のほうが重症みたい。


「私、きっと跡部景吾依存症になっちゃう、ね」
「なれよ、俺から離れたら息も出来ないくらいに、な」
「バカ……」



ずっとその声で私を呼んで。
ずっとその声で私を包んで。
ずっとその声で私を酔わせて。



そのvoice-コエ-の麻薬常習犯になるから。





+++++++++++
今回は珍しく左側にしてみました。
麻薬にちなんで注射器の壁紙も探してきました。
なので、忍足の方が出番多いのは錯覚です(笑)


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