クジラの歌
今週のテニスの練習は。
レギュラー全員に用事が出来てしまい、
自主練習ということになってしまいました。
1日練習を休むと身体を元に戻すのに
3日はかかってしまうんですけどね。
かくゆう、私も。
大学模試の日程が近づいていて。
参考書を何冊が開いて。
学校の図書館で勉強してる訳ですが。
放課後をいうのは意外と五月蝿いもので。
運動部の掛け声やブラスバンドの楽器音。
図書室の静寂などまったく無視して。
無理矢理割り込んでくる嫌なモノ。
ですが。
ひとたま勉強に集中すれば。
周りの音など消えてしまうので。
私にとってはまったく問題ないのですが。
しかし。
ひとつ。
私の耳を掠める、歌声が。
澄んだ。
それでいて艶かしい歌声が。
その人の感情が十分に詰まって。
気持ちを伝えたくて仕方ないような。
そんな、聞き覚えのある女性の歌声が。
集中力が切れることなんて。
勉強中の私には滅多にないことなのですが。
一つの歌声が。
耳に入って、鼓膜を揺らし、脳を刺激して。
ふと。
ノートの上を走るシャーペンを止めて。
誰も居ない図書室を見回す。
一気に聞こえ出す周りの騒音に等しいモノ。
まるで。
先程の歌声は錯覚だったと思われても仕方ないくらい。
周りの騒音で掻き消されて。
所在の跡を見失って。
「……フゥ」
溜息に似た息を吐いて。
私はまたシャーペンを強く握った。
そして参考書とノートを見比べて。
サラサラとノートに字を増やしていく。
淡々と、そして着実に。
「……もう、こんな時間ですか」
教科書が見えにくくて。
仕方なく手を止めると。
図書室は闇に包まれていて。
騒がしいほどの掛け声や楽器音はなくて。
図書室に似合う静寂だけがそこにあって。
「後は家でやります、か」
私はずれた眼鏡を人差し指の腹で上げ、
図書室の入口にある電気を点けるために
静寂を邪魔するように歩き出す。
空気が、冷たい。
私が居るのに。
まるで私の存在さえも消すように。
服を着ているのに。
肌を針で刺されているような。
そんな、感覚ですね。
パチパチッといくつかのスイッチを点ければ。
蛍光灯特有の音と光に照らされて。
余計に外の暗さが映えて。
自分がどれだけ集中していたか思い知る。
口元に苦笑を浮かべて。
戻って参考書とノートを鞄に仕舞おうとすれば。
「……あ!まだいけるかも!」
バタバタと。
今の時間には似つかわしくない足音、
いや、走る音が聞こえて。
私がふと立ち止まり、扉の方を見れば。
「すいません!まだ開いてますかっ!?」
駆け足で図書室に飛び込んできたのは。
「……って、柳生、くん?」
「私は特別にココを借りているので、
図書委員の人は既に帰ったようですよ」
手をドアに掛けたまま。
肩で激しく息をして、
少し焦点の合わない瞳で私を見て。
ガクッと項垂れる。
「今日、返却日なのに……」
「本、ですか?」
「あ、うん。楽譜なんだけどね」
「楽譜……?」
「図書室にもあるって先生に聞いて借りてたの」
ほら、と持っていた冊子を翳して。
用がなくなった図書室に足を踏み入れる。
彼女の名前はさん。
同じクラスで先月は隣の席になった人。
そして。
私の。
「……貸してください」
「え?」
「"今日中"に返却すれば問題はないでしょう?」
「そう、だけど……」
「じゃあ私が代わりを務めますよ」
「柳生くん、が?」
「何か不満でも?」
「まさか!願ってもないよ!」
最初は驚いた顔で。
でも次は嬉しそうな笑顔で。
私は鞄を置いた机を横切り、
いつも図書委員が座っているカウンターの
奥の椅子に腰掛ける。
「何か、本物みたい……」
「本物の図書委員も生徒がやっているんです。
同じ生徒の私がやっても違和感はないでしょう」
「まぁ、そうなんだけどさ」
「コレですね?」
「あ、うん」
カウンターに置かれた箱の中から
さんの名前が書いてある図書カードを見つけて、
カウンター前に佇むさんに差し出して。
苦笑しながら頷くさんから冊子を受け取る。
譜面が並ぶ中をパラパラと捲って。
最後の借出カードを入れる袋に
さんの図書カードに一緒に
クリップで挟んであった借出カードに
印を押して中に入れ、閉めて差し出す。
「……お上手」
「いつも見てますからね。
はい、元の場所は分かりますよね?」
「ああ、うん」
悲しそうだと思ったのは。
もしかしたら私だけだったのか。
受け取ったさんの顔は。
先程の驚喜の表情とはまた違っていて。
悲しい、という表現が1番正しいような。
教室では。
いつも笑顔で。
私にも遠慮なく話しかけてきて。
正直、その明るさに惹かれましたよ。
屈託のない無邪気な笑顔や。
明るいトーンで喋る話し声や。
何事にも臆することない動向など。
私にはまったくない面を。
彼女は全て持っていて。
それを羨ましいと思う反面。
その輝きに当てられて。
惹かれて仕方がない、自分。
だから、分かるんです。
いつも貴女を見てるから。
驚喜と共に存在する、貴女の悲しさも。
それは。
私が。
私が貴女を。
「♪〜〜♪〜〜♪〜〜」
耳を掠めるのは。
集中力を途切れさせた、歌。
今は鼻歌だけれど。
似たような、感覚。
楽譜を両手で胸の前で抱いて。
無意識か鼻歌を歌いながら。
元にあった場所へと向かっていて。
その鼻歌を聴きながら。
私は席を立って、鞄に荷物を入れようと
カウンターを出る。
本棚に隠れて見えなくなったけれど、
さんの鼻歌はしっかり聞こえて。
心地良いそれに包まれて。
私さえ鼻歌を歌ってしまいそうな。
「……?」
鞄の中に荷物をしまって。
ふと、気がつけば。
聞こえていた鼻歌が聞こえなくて。
私は急いでさんが向かった本棚に行くと。
彼女は必死に自分より高い位置に冊子を戻そうとしていて。
めいいっぱい背伸びをして。
それでも届かなくて。
そんな姿を。
愛しいなんて思ってしまう私は。
重症以外の言葉はないと思います。
「……貸してください」
「あ、気づいた?」
「こんな所にあるのをよく取れましたね」
「前は図書委員さんに頼んだのよ」
「そうですか」
さんから冊子を受け取って。
私の身長なら軽々と届くその位置へ戻す。
「どうして、コレを?」
「え?」
「いえ、先程借出カードを見れば、
もう何十年も借りられてなかったので」
「ああ、私合唱部だから。
みんなに合う曲ないかなぁ〜って探してたの」
「……確か、部長でしたね」
「そうなの!柳生くん知っててくれたんだ!?」
「まぁ、一応」
「……嬉しい」
言葉尻を濁して。
本音が出ないように自分を制御して。
さんには決して悟られぬよう。
知ってます。
私は、知っています。
合唱部の練習がない日でも
部員のために誰よりも遅くまで残って。
いろんな曲を心を込めて歌うこと。
その歌声は澄んでいて。
それでいて、艶かしい。
ブラスバンドの音には負けず劣らず。
貴女の歌声は練習中の私にも届くんです。
そして、想いを募らせるんです。
「ねぇ、知ってる?」
「何をですか?」
「クジラってね、会話を何でしてると思う?」
「会話、ですか?」
「そう、会話!」
「……会話と言うんですから鯨だけの言葉があるんじゃないですか?」
「ブッブー!柳生くんでも知らないことってあるんだ」
「……何なんですか?」
「歌」
「う、た?」
「そう、歌。
どんなに遠く離れてても、歌を送れば聞こえるんだって」
「……初めて知りました」
「すごいよね、どんなに遠くてもだよ?
だからね、きっと心を込めれば人間でも同じこと出来るんじゃないかって」
「人間でも、ですか?」
「うん、自分の気持ちを歌に乗せて送れば、
その人が気づいてくれるんじゃないかって……」
「……好きな人が、居るんですか?」
呟くように問えば。
さんは一瞬目を丸くして、
赤い唇が口角を上げ、
少し瞳を細めながら。
「……居るよ、でもまだナイショ」
「は?」
「気付いたら、歌を返して?」
「え?」
「私、一生懸命、心を込めて歌うから」
頬を赤く染めて。
見上げた瞳は潤んでいて。
髪と制服のスカートを揺らして。
図書室を去っていった。
走音はだんだん遠くなって。
また私は、1人になる。
だけど。
今はとても、暖かい。
まだ残っているようなさんの存在の余韻。
それを感じつつ、指の腹で眼鏡を上げ。
「お手並み拝見としましょうか」
自分の気持ちは分かっています。
貴女の気持ちも十分届いています。
だけど、私は我侭です。
もう少し貴女の歌の気持ちに浸っていたい。
もう少しだけ。
貴女の歌の想いで。
私の想いを募らせてください。
いつか。
いつか鯨のように。
言葉を、気持ちを、歌を、返しに行くので。
+++++++++++
クジラの画像見つけるのが大変でした(しかも素材モノ)
何とか見つかって万々歳です。
しかし、比呂士が全然紳士……
いや、ジェントルマンじゃなくてスイマセン。
今度からはどなたかの比呂士を見てから書いてみます(イッツ無謀)
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