小さい頃はよく。
兄貴の前で泣いていた気がする。
なにかと兄貴の後を付いて。
今考えると――――――金魚のフン、みたいだ。

あの頃の俺は。
兄貴のことを。
海よりも大きくて。
空よりも広い存在だと思ってた。

だから俺もそうなりたくて。
兄貴の歩いた道を辿れば。
俺のいつかそうなれるんじゃないかって。

我ながら単純な発想すぎて失笑を呼ぶ。
兄貴は兄貴で、俺は俺なのに。
決して一緒になることもなければ。
決して。


越えられるはずもなかったんだ。




勝てねぇのかよ 後




♪〜〜♪〜〜♪〜〜


着信メロディが階段に嫌に響いて。
後ろポケットからそっと取り出す。
鳴り続けるソレから表示された文字は。


"不二周助"


既に外は真っ暗だった。
目の前の窓からはすっかり夕日が消えていて。
真ん丸い月が窓の外では浮かんでいて。
月明かりで俺の周りは明るいけど。
こんな時間まで生徒は誰も残ってないだろうし。

暗い中で。
存在を誇示するように。
俺の携帯電話はピカピカ光って。
その時間がやけに長くて。
早く切れてしまえば。
早く留守番電話サービスが作動すれば。

手の中で震えるソレを。
憎いくらい睨んで。
そしたら急に音が止んで。

耳をあてる所から。
留守番電話サービスの声が聞こえてきて。
ホッと胸を撫で下ろした。
ホッと、一息を吐いた。


『……裕太』


俺にまでピーッという発信音が聞こえて。
そこから、少し間を空けて。
微かに聞こえたのは、兄貴の、
俺を名を、呼ぶ、声。


『もしかして、そこで聞いてないよね?』


携帯を、落としそうになった。
兄貴は本当に何でもお見通しで。
特に俺のことなんて何度見破られたことか。
いつも図星で兄貴の前で俯いて。
それを優しく頭を撫でて聞いてくれて。

こんなに心が広い人間は。
兄貴以外、見たことがなくて。


『居たら居たで聞いててくれて良いんだけど……
 さっきまで……、さんと一緒だったんだ』


の名前が聞こえて。
身体が無意識にビクッと震えて。
そっ、と携帯を耳に近づけた。

やっぱ、気になる。
好きなんだ、って自覚した後だし。
でも。
兄貴と電話でも話す勇気はない。

ああ、もう。
こんな意気地な自分が嫌なのに。
きっと兄貴もそこに居るって分かってるだろうのに。
それでも素直に出ることは出来ない。

真実を知りたい興味はあるのに。
真実を背負う度胸が、俺には、ない。
真正面からぶつけられる衝撃を。
受け止められる自信が、ない。


『裕太には話してなかったけど、
 いや、話す必要なんてないと思ってたんだ。
 まさか彼女が裕太と同じクラスになってたなんて』


ああ、やっぱり。
いくらにぶい俺でも分かるぜ?
恋とか愛とかあんまり興味ないけど。
それでも友達から無理やり話聞かされるし。
ああ、部活の先輩の方が多いかもしれない。

なぁ、兄貴は。
兄貴は、さ。

と。
付き合ってたんだろ?


『彼女は部活のマネージャーでね。
 知り合っていく内に仲良くなって……
 僕から、告白したんだ』


今度は。
身体じゃなくて心臓が大きく跳ねた。
兄貴がに告白してただなんて。
あの兄貴が、それが衝撃だった。

青学に居た時は。
俺と違ってテニスは上手いし、
顔はかなり良いと思うし。
――――――別に親類のよしみで言ってるんじゃねぇけど。

だから、モテてた。
男の俺からもあれだけ何でも揃ってたら
モテるのも当然だと思うし。
彼女とか居るのは聞かなかったから知らないけど。
俺の周りでも兄貴が好きだってヤツは多かったし。
不自由なんてなかっただろうに。

それでも。
兄貴はが好きになって。
だってそんな兄貴が好きになって。
2人は付き合っていて。
今はどうなったかよく分からないけど。
電話をするってことは。
今でも、付き合ってるってことか?


『好きな人が居るって、断られたんだけどね』


最後に少し苦笑を混ぜて。
それでも平気そう兄貴は言った。


『……何で仲良くなったかってのはね。
 彼女が、裕太のこと知りたかったからなんだって』
「え……」


まるで会話をしているかのように。
俺は兄貴の言ったことに反応してしまった。
決して聞こえることはないのに。


『中学の時から好きだったんだってさ。
 1年の時同じクラスだったらしいよ?
 その後すぐに転校したから覚えてないかもしれない、
 って彼女は笑ってたけどね』
「……」
『彼女は国語の成績がとても良くてね。
 本当は聖ルドルフから声が掛かってたんだよ。
 だけど、裕太が本当に自分を忘れてから。
 もう一度、最初からやり直したかったんだってさ』
「……そう、なのか」
『……あ、もうすぐ留守電サービスも終わるかな?」
「えっ、あっ、兄貴!」
『……やっぱり居た』
「あ……」


俺はまだ聞いていたい興味が勝って。
思わず慌てて携帯の通話ボタンを押してしまった。
やっぱり兄貴は分かってたみたいで。
そう言って、電話の向こうで笑った。


『が電話をかけてきたのは、
 俺が裕太のことで何かあったらかけてきて、って
 先に言ってたからなんだ、気にすることはないよ』
「あにき……」
『その調子だと、裕太ものこと好きみたいだしね』
「あっ……」
『僕に遠慮することはないよ。
 裕太は裕太の思ったとおりに行動した方が良いしね』
「……でも」
『テニスも僕のことなんて関係ないよ。
 裕太は裕太だって自分でもよく分かってるはず。
 僕がここまで言ってるのに、諦めるんだったら……』
「……なん、だよ?」
『のこと、奪うよ』


初めて兄貴のライバルになれた気がした。
いつも兄貴は俺にとって空の上の存在で。
決して届くことはないと思っていたのに。

初めて届いた証に。
俺に、初めて警告めいた言葉を零した。


「ゴメン!兄貴!また後でかける!!」


通話停止ボタンを急いで押して。
携帯電話を手に握って階段を駆け下りた。
部室に鞄やテニスバックを置いたままだとか、
その時は頭を掠めもしなかった。

ただ、ただ。
に自分の気持ちを伝えるのが、
何よりも大事なことだって。
やっと、分かったんだ。

俺ってどうしようもないヤツ。
誰かの後押しがないと動けない。
後押しがあってもうじうじ悩んで。
警告を聞いてやっと自分の気持ちに気付くなんて。

本当に自分の選択が当たってるのか。
人の意見を仰いで。
仰げなくて自分で出した答えでも。
やっぱり間違ってような気がして。

間違いでも。
自分の中で正解だと思えばそれで良いのに。
人の意見に左右されて。
周りの視線に揺らされて。

どうしようもないヤツだよ、ホント。
そんな俺を。
どんなことでも支えてくれる存在が居るのに。
兄貴や、が居るのに。

どうしてこんなに自信がないヤツなんだろう。
なんでこんなに余裕がない人間なんだろう。
数え上げればキリがない欠点が。
俺の中を駆け抜けるけど。

が好きだって気持ちは。
誰にも負けない、いや、負けたくねぇ。
他の誰にも。
もちろん兄貴にも。

なぁ、兄貴。
悪いけど、一勝上げさせてもらうぜ。
俺、もう負けないから。
テニスでも、負けないから。
まずは一勝して、それから頑張るから。


俺からのライバル宣言として受け取ってよ。
それで。



ありがとう。




校舎の玄関で靴に履き替えて。
そのまま門に向かおうと走り出せば。


「裕太!」


後ろから俺を呼ぶ声が聞こえて。
足を止めながら、顔だけ振り向くと。


「……」


走った身体は急に止まれなくて。
呼ばれた位置から数歩進んで。
ゆっくりと身体全体で振り返った。


「下駄箱見たらまだ靴あったから……
 ココで待ってたら会えると思って」


寂しそうに笑むその姿に。
俺は愛しさを募らせる。
そのまま抱きしめてしまいたい。


「裕太、あのね」
「俺さ、のこと好きなんだ」


抱きしめる前にやっておかなきゃイケナイこと。
に俺の気持ちを伝えること。

は驚くように目をいっぱいに開いて。
その瞳で俺を射抜いて。
それで、俺は不安になる。
ホント、どうしようもなくダメなヤツ。

中学の頃は多分話したこともなかったはず。
同じクラスの人の名前なんてもう数人しか覚えてないし。
それでも俺のことを覚えてくれてて。
"不二弟"と呼ばれて。
下の名前を覚えられることのなかった俺を。


"不二裕太くん、だよね?"


と。
フルネームで覚えててくれた。
きっとが見た最後の俺が中1だったから。
成長してる俺を見て、確かめるようにそう聞いたんだ。

テニスをやってることも。
中1の俺を知ってるなら当然知ってるはずで。


「……忘れてるかもしれないけどね」
「え……?」
「私、裕太に"テニス好き?"って聞いたことあるんだよ」
「……っ!」
「だから、諦めないで欲しかったんだ」


ゴメン。
何度でも謝る。
ホントにゴメン。


俺、のこと覚えてるよ。
(性格には思い出したとも言うんだろうけど。)




"不二弟"って呼ばれていていて。
俺は嫌で嫌で仕方なかった。
それで観月さんにスカウトされて。
もう聖ルドルフ学園に転校することを決めていたとき。

その頃、課外授業の班が男女一緒になることになって。
俺はの班と組むことになってて。
最後の思い出だと俺は楽しむことに決めてて。


「同じ班だな、よろしく」
「え、あ、うん……」
「ココに居る最後の思い出だから楽しみたいんだ」
「え、転校、するの?」
「そ、だから全員に言ってんの」
「そっか……裕太くんは」
「え?」
「あ、ゴメン!名前で呼んで……」
「いや、分かりやすいから良いけど……」
「不二、くんは……テニス、好き?」
「え?当たり前だろ、それで転校すんだから」
「そっか、じゃあ諦めないでね」
「もちろん!ありがとうな」
「うん、どういたしまして」


あの時と同じ笑顔で。
は俺の目の前で。
今は愛しい人となって。
目の前に立ってる。

あの頃は名前も覚えもしなかった存在が。
今は愛しさが募る相手として立ってて。

人の気持ちなんかいつ変わるか分からない。
そう思うと、俺は急に不安になって。
怖くなった。

さっきは一勝上げるとか偉そうなこと言ったけど。
俺はのこと無視してたし。
他の、そう、兄貴に気持ちが変わってるかもしれなくて。

今更気持ちを伝えて。
やっぱり遅いかもしれないって。


「裕太は、今、あの時と同じ目してるの」
「え?」
「私の前で"当たり前だ"って宣言したあの時と同じ」
「……そう、か?」
「うん、私が好きになった目と同じ」
「……っ」
「ありがとう、私も好きです」


俺は短い距離なのに走って。
そのままを腕の中に収めて。
確かめるようにぎゅっと抱きしめて。


「何も言えなかったあの頃から変わりたくて、
 だから、忘れて欲しくて……」
「だったら高校から入学して来れば良かったのに」
「中1の時だから思い出しちゃうかもしれないでしょ?
 忘れて欲しかったのに……自分で思い出させちゃうなんてサイアク」
「転校してきてすぐ話さなかったのは?」
「私のこと本当に忘れてるか確認するための期間。
 最初に声掛けたときの賭けの延長戦だったの」
「……、数学苦手じゃなかったか?」
「推理小説読むの好きだもの」
「そういうもんか?」
「そういうもんだよ」


自然に笑みが零れて。
俺達は抱き合ったまま笑った。

ホント俺ってどうしようもないヤツだけど。
なら俺を変えてくれるかもしれない。
いや、自分自身で変わる力を分けてくれるかもしれない。
支えてくれる力をは持ってるから。


「好きな人を支えたいと思うのは当然でしょ?」


どうしようもない俺だけど。
にそう言ってもらえたら。
俺は頑張れそうな気がする。


「当然よ、私が付いてるんだから」


最高だよ、は。






+++++++++++
嗚呼、もうダラダラと文章が続いてしまいました。
終わり方もなんてゆうか、もう、ダメダメ。
裕太って可愛いのにこんな意気地なしで良いのか!?
出直してきます(土下座)


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