一目惚れってこういうのを言うのかな?


いや、でも俺のは少し違うかも。
なんて言うのかな。
ああ、そうだ。
インスピレーションって言うんだよな。

ただ、君を見て。


"名前"


を。
呼んで欲しいと想ったんだ。




046:名前




暑い暑い、真夏の昼。
彼女と会ったのは近くの本屋で。
受験生だということを意識して、
俺は参考書の棚に向かった。

別に参考書とか見に来た訳じゃないんだけど。
なんとなく意識するのは受験生の性だよな。
本当は漫画が読みたいし。
あ、今週のジャンプももう出てる。
でも今日は持ち合わせないし。

意味のない思考を巡らし、
参考書の棚へと辿り着くと。

高い棚の1番上を。
羨望の視線だと誰もが分かるように。
彼女はじっと見つめていた。

何が羨ましいのかよく分からない。
けれど、彼女は羨ましそうだった。


自分でもよく分からない。
ただ、なんとなく声を掛けてみた。


「あの」
「……」


無反応。
人がココまで来て声掛けてるってゆーのに、
無視とはいい度胸してるな。
彼女はそのままずっと上の棚を見つめている。


「あの……キミさ」
「……」


やっぱり無視か。
彼女は変わらない視線のまま見つめている。

普段の俺なら。
こんなの放っておいて自分の用事を済ます。
―――――はずなんだけど。

目の前の彼女はよく見れば。
少し長い髪が店内の冷房によって揺れて。
肌が白いせいか唇の赤が妙に映える。
そういえば。
ピンクの花柄のワンピースで。
それ以上に真っ白い肌が露出されていて。


思わず。
目を奪われた。


無意識に彼女のことを視界に入れないように
してたのかもしれない。
俺の脳細胞が全面的に彼女を危険視して。
だって。
確実に目が奪われるのが分かっていたから。



俺が壊してしまうのを恐れていたから。



軽い気持ちのナンパじゃない。
俺は真剣に、彼女に一目惚れをしたんだ。
その赤い唇が開いて。
俺の名前を紡いでくれる想像の快感が支配して。

ゆっくりと。
そっと。
彼女の肩に手を置いた。

俺の手のひらが暑かったのか。
それとも彼女は随分と長い間ココで冷房にさらされて
冷たかったのかは今となっては定かじゃない。

俺達の体温は限りなく真逆だった。
そして。
彼女は身体を揺らさずにゆっくりと振り向いた。

横顔だけだったけど。
やっぱり真正面も儚げで、綺麗で。
俺と視線が合うと、驚いたように少し目を見開いた。


「どの本が欲しいの?取ってあげるよ」


ナンパ文句と思われても仕方ない。
そんな軽い気持ちじゃないのは確かなんだけどな。
俺は上を見上げてそう言ったけど。
彼女は黙ったまま瞳の色を困惑色にした。


「……あ、迷惑だった?」


実はどんな声なのか楽しみでもあった。
きっとこんな儚げな子から出てくるのは、
天使のような清らかな声。

彼女は黙ったまま。
少し瞳を伏せて。
鞄からメモ帳とボールペンを取り出した。
そして、サラサラと書いて俺に差し出した。


"私、聴覚障害なんです。すいません。"


簡潔な文字列なのに。
その羅列に込められた重さは深かった。
俺は無意識に目を見開いて、
メモ帳と彼女を交互に見た。

彼女は微笑んでいた。
少し寂しそうな笑みに思えたのは少し後になってから。
その時、俺は。
その儚げな天使を抱きしめたいと切に想った。

その衝動を抑えて。
彼女からペンを借り、メモ帳に記した。


"俺は佐伯虎次郎。キミは?"


離れていくとでも思ったのだろうか。
彼女は先程以上に目を見開いて。
メモ帳を見るために下へ。
俺を見るために上へと顔を上下にしながら
心底驚いたように唾をゴクリと飲んでいた。

彼女の瞳から伺えたのは。
戸惑いと喜びの色。
受け入れられる喜びを。
彼女はあまり知らないのだろうと感じた。

俺は微笑みながら彼女にペンを渡すと、
彼女は戸惑いながらもメモ帳に記して、
俺に差し出した。


"です。"


小さな女の子らしい字だった。
それさえ愛しいと思ってしまった。
会ってまだ数分しか経ってないというのに。
この言葉に出来ようの想いは何なんだろう。

障害者を救おうとしている優越感か。
俺は偉いんだぞという誇示感か。
違う、全て違う。

この視界に収めた瞬間から。
俺は彼女に恋に落ちたんだ。
ドラマみたいな出会いで。
俺達は仲を育んでいった。




最初は筆談だった。
たまにジェスチャーを加えながら。
1番上の参考書が本当は欲しかったのもこの時に知った。

もっと多くのことを彼女と話したいと思った。
彼女は手話を知っていた。
俺は受験勉強を放って手話ばかり練習した。

あんなに好きで仕方なかったテニスが。
彼女に愛しい気持ちが募ってそれどころじゃなかった。
バネには「やる気がねぇ」と言われるし、
剣太郎には「サエさん、燃えてくださいね」と
笑顔で念押しされてしまった。

けど。
今の俺にはどうでも良かった。
どっちかと言えば。
テニスより手話の一つを覚えてる方が楽しかった。




彼女はと言って。
同い年で、本当なら同じ高校に通っていたらしい。
しかし、受験前夜。
母と出掛けた前祝いの帰りに事故に会い、
彼女の耳は聞こえなくなってしまったらしい。

母は嘆き、父はそれを慰めるので手一杯で。
本来俺と同じ学校に進むはずだったが、
彼女は養護学校を右も左も分からぬまま入って。
一から聴覚障害について学んでいったらしい。

聴覚を失って。
彼女は声も失ってしまった。
自然と出なくなってしまったらしい。
本当に喋れるかどうかは定かではない。
なんとなく、聞けなかった。

人と話す手段は手話が1番で。
彼女も進んで手話を覚えたらしい。
人と会話する喜びを思い出し、
彼女は大変嬉しかったと話した。




逆境に負けないその強い瞳が。
俺を魅了して逸らさせない。
それどころかどんどん深みにはまって。

ついに。
冬になる頃には彼女を抱きしめて。
公園まで連れて行って"好きだ"と手話で伝えた。

俺のつたない手話なんて。
3年もやっている彼女から見れば
遅いし、たまに変な動作加えるし。
それなのにそれを笑顔で受け入れて、
理解してくれる。
その優しさが俺の心を強く打った。

好きだ、なんて言葉で片付けられなかった。
愛しい気持ちが溢れ出して。


"最初、筆談してた時"すいません"って謝ったでしょ?"
"ああ、そういえば。なんで?"


人差し指を顔の前で立てて、左右に振った。
彼女は少し瞳を伏せて、手話をしだした。


"ああ言えば、大抵の人は離れていってくれるから"


彼女があの時驚いた理由が分かった。
彼女は何度もそういう経験をして辛い思いをしたんだ。
軽い調子の善意で近寄られて、面倒になれば切り捨てられる。
当然俺のこともそう思ったに違いない。
もしかしたら。


"あのさ"
"なに?"
"今でも俺のことそんな風に思ってる?"


きっと彼女にはこれで伝わるだろう。
俺が、軽い調子の善意で近寄ってきた人間か、どうか。
嘘でもいいから思ってないと言って欲しい。
けど、彼女の本心が聞けないのも辛い。


"……正直、怖いよ"
"……"


手話は、目を逸らすことが許されない。
視線を合わせなければ大事な"言葉"を見逃してしまうから。

正直。
俺はそう言われて目を瞑ってしまいたかった。
胸が苦しくて苦しくて。
締め付けられて水の中で溺れているような感覚。


"最初に謝るのは私も辛い、だって私悪いことしてないのに"
"……"
"でも先手を打たなきゃ、もう辛い思いはしたくないの"
"先に、壁を作るってこと?"
"良く言えばそうかな。でも結局は距離を置いて自分から拒否してるの"
"……"
"理解を示そうとしてくれても人間って自分の利益にならなきゃ疲れちゃうから"
"……"
"それなら最初から、何もなければ辛い思いはしないでしょ"


寂しそうに、笑うなよ。
本当は悲しいくせに。
どうしてそんな無理して笑うんだよ。
俺の前で、どうしてそんな笑みを見せるんだよ。


何かが、走った。


悪魔がそっと囁いた。
天使が壁を作っている、と。
遠まわしに俺の告白は玉砕したんだ、と。

目頭が熱くなった。
好きでも伝わらない想いは話でしか聞いたことがなかった。
こんなにも辛いものだとは、思ってもみなかった。


「だったら……」
"え、なに?"
「何で俺の問いかけに答えたんだよ!
 そのまま無視してたら良かったじゃねぇか!!」
"だから、なに?"
「何でだよ!何で聞こえねぇんだよ!!
 そんな回りくどいことで伝えなきゃいけねぇんだよ!!」
"……"


彼女は雰囲気で"言葉"を理解するのが上手だった。
"耳が聞こえなくなったら自然とそうなるものよ"なんて彼女は笑ってた。
俺は我にかえって、彼女を見つめた。
柄にもなく声を荒立てて、心臓は早いし息も上がっている。
そんな中、彼女は静かに瞳に涙を浮かべていた。


"ごめんなさい"


見えない風と共に、彼女は公園を走り去った。
冷たい風が頬を掠めても。
昂った身体は何故か冷めやらない。

近くにあったベンチに座って。
俺は声を押し殺して泣いた。
幸いは真冬だから。
誰もこの公園には来なかったこと。

思ってもないことを口にして。
俺は絶望の極地に立たされた。
一歩踏み出せば落ちることが出来る断壁の前。
下が見えて、怖いけど。
落ちたくて仕方ない。




声に出してする言葉は。
無意識の内に嘘が混じる。
実際に、俺のさっきの言動が良い例だ。

彼女との手話に一切の嘘は存在しなかった。
嘘をつく暇がないと言ったほうが良いかもしれない。
彼女の手話に何とか付いていこうと。
俺は必死になって全てを話していた。

彼女との"言葉"の会話は。
他の誰よりも話すのが楽しかったのは。
嘘、偽りが存在しなかったからかもしれない。

好きで、好きで。
それでいて彼女の横は居心地が良かった。
ずっと前から。
きっと無意識に。
俺が求めていた"居場所"を彼女が持っていた。


PURURURURURU〜


携帯電話が鳴った。
今は誰からの電話も受け付けない気で居たが、
一応確認のため、相手名が記された画面を見た。


""


一瞬、疑った。
彼女とは電話では話せないから。
いつもメールだけのやりとりだったから。

先程のことを思い浮かべながら。
顔を顰めて、俺は電話に出た。


「もしもし?」
「……」


無言だった。
もしかして、俺が電話に出たことに気付いてないのかもしれない。
電話を切って彼女を探すべきだ。
そう決めて、電話を切ろうとしたとき。


「……り、ろ……」


電話の向こうから聞こえてきたのは。
ひどく掠れた低い声。
いつもの彼女からは想像出来ない。
えらく、死にそうなほどの重低音。


「ら、えり……ご、り、ろう……」


自惚れて良いんだろうか。
なぁ、自惚れて良いんだよな?

ずっと聞くことが出来なかった。
彼女の口から俺の名前が。
俺の名前を呼んでるって。

きっと俺が出る前からずっと言っていたに違いない。
俺が出るのがいつかは分からないから。
きっと、ずっと。


「ざ、えぎ……こじ、りょ……」
「さえきこじろう」
「ざ、えき……ごじ、ろう……」


俺の声なんて届かないはずなのに。
彼女は俺の言葉を受け入れて
俺の名を呼んでいるように聞こえる。
しかも、どんどん上手くなってる。

俺は走った。
携帯を持ったまま、彼女が去った方向に。
彼女が俺の名を呼ぶたびに、自分の名前を。
呟いて。叫んで。届くように。

俺の声が一生彼女に届くことはないけれど。
彼女の声は確かに俺に届いてるから。

つたない言葉で。
俺の名を言ってくれてるから。




公園の端の電話ボックスに。
彼女はうずくまって電話を掛けていた。
携帯電話片手に。
苦しそうに顔を顰めて。
それでも。
何度でも何度でも。

電話からも聞こえるのは。
苦しそうな呼吸に。
嘔吐のような咳。
それでも。
何度でも何度でも。


彼女は俺の名を呼び続ける。


なぁ、なんでそんなことまで理解出来るの?
俺はきっとキミのこと知った振りして
それを振りかざしていい気になってただけなのに。

無理してまで。
どうして俺が名前を呼んで欲しかったって知ってるの?

初めて出会ったときのように。
ゆっくり近づいて。
電話ボックスのドアをキィと音を立てて開けた。

彼女が気付いたのは音でじゃない。
俺の影でだ。
全身を揺らし、彼女の瞳は虚ろに近い。


届くことを願って。


すっ、と手のひらを胸の前に。
手のひらを胸側に握りこぶしを作り親指をあげ、
次はそのままの親指を下げ、小指をあげ、
今度は手のひらを彼女に向けて横にして親指、人差し指、中指を伸ばし、
手のひらを縦にしてまっすぐ全ての指を伸ばして、
そのまま薬指、小指を曲げる。

虚ろだった彼女の瞳に漆黒を戻し、
驚いたように口に両手をあて、瞳から涙を溢れ出させた。

俺は地面に膝を立てて、
寒そうに真っ赤にした頬をつついて顔を上げさせ。


"さっきは本当にごめん、思ってもないこと言った。"
"……"
"本音を言えば俺はキミと話したい。"
"……"
"でもそれは"手話"でも出来るんだよな"
"……"
"俺は今までこうやって言葉で話せてきたから
普通だと思ってた。いや、それが普通だった。"
"……"
"でもキミに会えて確実に自分の価値観が変わったよ。"
"……"
"話すことが全てじゃない、お互いの気持ちを汲み取れる関係ってすごいんだって"
"……"
"俺もとはそうなりたい……軽蔑されるかもしれないけど"
"どうして?"
"自分の都合良く意見換えてるって思われても仕方ないし、ね。"
"……そんなことないよ"
"なんで?"
"だって私も、愛してるもの"


""
彼女の名を初めて手話した。

「こじ、ろう……」
俺の名を初めて呼んだ。

そして。
初めて名前を交わた日に。
俺達は初めて唇を交わした。

自分の名前がこれほどまでに大事だと思ったことはなかった。
俺は"虎次郎"という名前で良かった。
彼女が""という名前で本当に良かった。

きっとキミは心の中で俺の名を呟くだろうから。
その時はぎゅっと抱きしめて。
届くことを信じて。


「、愛してる」


と。
囁くから。






+++++++++++
ついにやってしまいました(土下座)
ちょっと長すぎるのに、消化不良です。あぅ。
10.5巻みたいに46.5とか立てようかな(笑)
それか別ので書くか。どっちかにします。
ちなみにサエがやった手話は「アイシテル」なんですよ。
皆さんも実戦してみてくださいね(笑)

ちなみに番外編46.5はコチラになります。


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